2011年8月10日水曜日

Who?

暑いですね

みなさん如何お過ごしですか?

僕は本日よりいよいよ高知よさこい祭の本番をむかえます

昨夜は前夜祭があり
旭食品と俵屋の二つのチームで歌って来ました。
今日から数日間
テンションアゲアゲでがんばって参りたいと思います。


僕は
よさこいの世界で
自分が何者か問うつもりはなくて、
たまたま流れに於て
楽しんでいる…結果
こうなったに過ぎません。

様々なチームや振り付け師の先生との関わりで音楽を作る中
移り
自然に幾つかの世界観が構築されて来ました。

僕はそのチームを表す為のひとつのツール、エレメントであり
主はあくまでも「踊り子」やチームだと思っています。


そのチームのカラーを牽引するような立場であった事も
過去にはありましたが

少なくとも現在に於ては
作曲者という存在に過ぎません


舞台上に立つ以上
喧伝されるのは
勿論、僕自身の姿ではありますが
よさこいや舞台楽曲と言うものは
僕の想いだけが反映されている訳ではありません。
その事は
もうひとつのblog「ASAO MUSIC」にも昨年書きました


もし
僕が「プロデューサー」という肩書きのもと
チームや祭に迎えられるとするなら

純粋に「土佐の祭」としてのこれからの100年(笑、大げさ)を考え

凄く予算はかかりますが和楽器…太鼓や篠笛、ウタ、三味線や筝

大好きなミュージシャンを集めてフリーセッションから始めます。

それこそが
祭において僕が一番やってみたい最高のひとつ。
それを地域や地方、本質的な存在意義に至るまで人、数字、効果
その全てを結んでみたい。

批判ではなく
現実として
「よさこい」は作為がたっぷりなエンターテイメントです。

自由な表現を楽しむ…というところに祭の要素がある

当たり前の話ですが
携わるチーム毎に
違う価値観があり
捉え方や感性が違う

クリエーターが同じでも
「旭食品」には「旭食品」の考え方や表現方法
「俵屋」には「俵屋」の表情がある

作曲の癖はあるし
楽しんでもいますが
1個人としての感性や「やりたい事」を優先してる訳ではありません

僕自身が
楽曲を「ソーランのように」とか「歌謡曲チックに」したい訳では無いのです

簡単に言えば
それぞれのチームの観点に立ち
僕にいま出来る全ての事をやる

ただそれだけの事です。
たくさんの人々から出てくる無尽蔵なアイデアをひとつのカタチにする…
それが僕の仕事です。

僕が僕の
作曲者としてのアイデンティティーを問う

それはもっともっと
先にあります。
神様に許され
この先も生かされていくならば…ですが


話は変わりますが
昨日の前夜祭で「セントラルグループ」を久しぶりに観ました。

全てが素晴らしい…の一言に尽きる

謂わばよさこいに於けるひとつのコア

まずはあれだけ踊れる技術
それを超えるエネルギー全く別次元のレベルにある
あの場所に立ったほぼ全員が
それを表せられる


前夜祭たった一回の演舞で
既に今年の高知の祭の主役でした。

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