2012年2月25日土曜日

吉本健児さんを悼む



初めてその場所へ訪れたのは
いまからもう30年以上前
僕が中学浪人だった頃

青少年法に違反する…と不粋な事は言わないで欲しい…

前にASAO MUSICの方に書きましたが
http://www.asao-hori.com/blog/2009/12/post-ab7b.html
僕にとって唯一の楽園
まさに糧でした。

高知市内には名店数多とあるが
僕にとって「とんちゃん」以上のお店は存在しない

僕はもっぱら二階の常連だったが
最初に行った時は一階でした

未成年だった僕に
吉本さんは
笑いながら
「君はミツコさんの息子じゃろ?幾つになった?」
「はい、18才…と言う事にしておきます」
吉本さんは
「そりゃ飲まされんねゃ…」と
ニコニコ笑いながら
なみなみと注がれた日本酒を出して下さった

あの時の
何とも言えない笑顔に
やられた。

吉本さんの散歩中によく行き会った。
その都度
「どうで?やりゆかえ?」「お母は元気かえ?」ひと声かけて下さった
今も耳に残ってる
暖かく良く響く声



一昨年
「とんちゃん」閉店の際当事店主だった息子さんから
親父もだいぶ弱った
なんせ100越えたきね…でも元気よ…と
一言で言えば大往生だと思う

しかし
あの方ほど
膨大な人との係わりで
たくさんの人生を眺め
自らも
おそらく苦悩もし
泣き、笑い
生きた人は
高知にはいないように感じます。

だからこそ
あの笑顔、物腰があった
淋しいです
吉本さん
だけど

あなたはたくさんの人に
幸せを与えてくださいました
僕もその一人です。
いつか
僕も吉本さんのような笑顔で
他の人を大きく包める
そんな人間になりたい

感謝を込めて

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